寺子屋の段は菅原伝授手習鑑の四段目、義太夫屈指の名曲であり、今日上演される時代物の文楽作品の中でも最高峰の一つである。 英大夫は、この寺子屋に、二千八年、3つの公演で挑戦した。 3月に、御霊文楽が一世を風靡した大阪で、その御霊神社儀式殿における素浄瑠璃公演として、12月に、東京国立劇場小劇場での文楽鑑賞教室の本公演(12回)として、及びその翌日、東京世田谷、松本記念音楽迎賓館における伝統音楽講座での素浄瑠璃特別公演として、語った。 筆者は、この寺子屋の3公演をすべて聴かせていただいたが、ここ数年、時代物に意欲的に取り組み、その進境に著しいものがあり、大阪、東京の本公演での健闘が光る英大夫が、それぞれを見事に語りきっており、大いに感動させられた。これらの寺子屋の語りで、其芸の道を一歩進んだと言えよう。
菅原伝授手習鑑が時代物の傑作である所以は、歴史的な事実を踏まえたフィクションと親子の別れをめぐる心理や葛藤や情愛を、壮大なドラマに仕立てたものであり、荒唐無稽なメルヘンのなかに、多様な人物が等身大で入り乱れて登場し、それらが渾然一体となったところに、観客はリアリティ感じて感情移入し、ドラマを楽しみ、感動することができるからなのである。 菅原道真は、遣唐使制度を抜本的に見直した大政治家であり、学識に秀でた大文化人であったが、反対勢力の陰謀で失脚し、その怨念が雷となって京都を襲い、災いをもたらしたとされ、これを鎮めるため天神様として祭られた。その後、天神様は人々の信仰を集め、学問の神様として民衆に支持されてきた。 18世紀の庶民は、雷が静電気による気象現象だとか、「ほうそう」が感染症の天然痘であるなどとは知る由も無く、逃れるためにはひたすら神仏にすがるしか無かった。 こうした中で、子を持った親は、その成長・健康や知的発育を神に願い、その命が失われれば、因果か業かと嘆き悲しむほか無かったのであろう、多少科学技術が進歩した今日でも、親の子を大切に思う気持ちにはいささかも変わりはない。 寺子屋のドラマの真髄は、まさにこの、親の子を思う感情が、切迫した追い詰められた状況のなかで、綿密に織り上げられ、表現されていくところにある。
3月、英大夫の、御霊神社での素浄瑠璃としての語りは、三味線が鶴澤清友。当日の演奏は、ホームページ「美芽の“英”観劇録」に詳しく記載してあるように、感情の迸る情感溢れたものであり、12月の本公演を予感したような、見事な仕上がりであった。あえて付け加えれば、見台開きから御霊文楽の幾多の名人たちの語りを聴いていた義太夫の神様が、まさにその伝統の場所で、床をしっかりと支え、浄瑠璃の姫さま達がそっと手を添えていたからに違いない。
12月、文楽鑑賞教室Aプロの本公演は、三味線は鶴澤清介。初日、4日目、9日目と千穐楽(16日)の4回を聴いた。 当初2回の印象は、語りわけ、性根など、しっかりときちんと語られており、まずまずのレベルとの印象であった。ところが、英大夫自身の日記にもあるとおり、後半2回は声が楽にでているようで聴きやすく、したがって全体がさらさらと耳に入ってきた。高い音が素直に美しく響き、人物の語りは腹にかかって力強く、聞き応えが出てきた。 「いろは送り」は、この曲の眼目中の眼目、主人公たちの葛藤を浄化し、散っていった犠牲者を心から悼むもので、大声でたっぷり歌われては拙い、英大夫は腹を据え格調高く語り切った。 特に千穐楽は、源蔵戻りから、いい語りだしで、子供達や源蔵夫婦の存在感が自然であり、ドラマの中心をなす、松王と源蔵の鍔迫り合い、首実検のあと松王の、戻ってからの運命的な愁嘆場、そしていろは送りまで、流れにまったく隙がなく、緊張感が持続して一瞬の滞りも無い素晴らしい語りであった。
12月17日の特別公演は、三味線は鶴澤燕三、松王戻りのあとの後半部分のみの語りであった。8畳ほどの座敷の付いた和洋室が会場で20人程の客、まさに源蔵の寺子屋の座敷で聴くような空間的距離感の中で、語り出しから緊張感溢れ、前日までの本公演のエネルギーが持続、いや倍増したような熱のこもった気合があった。 松王の「ご不審は尤も」から始まり、語り進められていくうちに、そこにありありと苦悩し慟哭する松王の姿が浮かび上がり、その芸により、観客がその人物を目の当たりにし、存在を実感するという、極めて稀有な感動を覚えた。 そこには、理不尽にわが子を奪われて苦しむ親の情が、松王の述懐と言う形で見事に表現され、結晶となって輝きを放っていたのである。英大夫には、二千と八つの山を越えた新しい歳に、明日の進歩を期待したい。
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